はじまりのものがたり >




それは、ティノがベールヴァルドのオトメになる十年近く前……。
まだ、二人が十にも満たない子供の頃のお話し…。


スウェーデン王城の外れにある、その古い庭は、手入れがされなくなって久しく…。
朽ちかけた石のベンチや、枯れた噴水、崩れそうな見晴らし台などが、ただそこにあるまま…時の流れに置き去りにされている。
この忘れられた庭は、ベールヴァルドのお気に入りの場所だった。
もう長いこと手入れのされていない植物は、好き放題に根を張り、伸び、ただひたすらにその時を、その季節を生きている。
そんな自然の様は、手入れをされた庭にはない強い美しさを持っており、その自由さがまた、何とも心を癒してくれた。
だから、ベールヴァルドは時折ここを訪れては、静かに思想を巡らし、絵を描き、風の声を鳥のさえずりを聞いて…ただぼんやりと…長閑な時間を過ごして…………。

だが、その日は、何やらどうも勝手が違った。

ベールヴァルドが庭を訪れれば、何処からともなく、誰かの泣く声が聞こえてきたのだ。
ひっ、ひっ、と…苦しそうなその泣き声に、何だと思えば、ベンチに腰掛ける小さな人影がひとつ…。
そう…、子供が一人、ベンチに腰掛けて泣いていた。
ベールヴァルドよりも随分小さく見えるその子は、貴族の家の子と見られる良い身なりをしていたが、あちこちに草のシミや擦り傷があって、言うなればボロボロのドロドロ…。
埃で汚れた顔には涙の筋が幾つもついて…髪には木の葉までついている。
「……なじょした、おめ?」
「おひゃああっ!」
声を掛けてみれば、子供は飛び上がらんばかりに驚いた。
大きく大きく見開いた瞳は、綺麗な菫色…。
ぶどうの飴玉みてぇだなぃ…と、ベールヴァルドは思った。
「さすけねぇが?」
膝小僧に出来た擦り傷を見て尋ねるが、子供はベールヴァルドを凝視したままで…。
心なしか、その顔が青ざめているようにも見える。
「痛そうだなぃ…」
驚かせてしまったのかと思いながら、もう一度声を掛ければ、子供はハッとして、それからゴシゴシと服の袖で顔を拭った。
「待っでろ、誰が呼んでくっがら…」
「あ…、ま、待って!」
「ん?」
ふるふると首が振られる。
「あの、大丈夫です!」
「ん〜…?だげっちょ…、泣いてんでねぇの」
涙を拭ったとはいえ、まだまだ目も鼻も赤い。
「へ、平気!まだ、戻りたくないんです!」
ベールヴァルドの指摘に、子供は少し目元に力を入れ、ムッとしたような顔でそう言った。
ベールヴァルドは「ん?」と首を傾げる。
「…家出?」
「えっ?いえ、そこまでは………ただ…ちょっと…」
俯けば、子供の瞳から、またポトリと涙が落ちた。
「そ」
ベールヴァルドは短く頷くと、ゴソゴソとポケットを探ってハンカチを取り出す。
無言で差し出されたそのハンカチを、子供は怖ず怖ずと受け取った。
「あ…ありがとう…ございます…」
「かけてもえぇが?」
「どうぞ」
承諾を得てから、少し間を開けてベンチに腰掛け、ベールヴァルドはじいっと子供を見つめる。
その子供は、服装こそ男の子のものだったが、顔立ちは女の子にしか見えなかった。
白い肌に、薔薇色の唇。
涙に濡れた宝石のような瞳は、長い睫毛に飾られている。
柔らかそうな蜂蜜色の髪はサラサラして…。
全体的にフワフワというか、柔らかそうと言うか…。

まんず、めんげぇなぃ…。

ベールヴァルドは感心して、胸の内でそう呟いた。


 
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「おめ、名前は?」
「…ティノ…。ティノ・ヴァイナマイネン…」
ベールヴァルドはハッと目を見開いた。
ヴァイナマイネンと言う名には聞き覚えがある…というか、あり過ぎるというか…。
「おめ…、オトメの…?」
怖ず怖ずと尋ねれば、ティノの瞳には再び涙が滲んで…。
それはアッという間にぶわっと溢れ出した。

だがら…泣いでんのか……。

ティノの涙の本当の理由が分かり、ベールヴァルドはズキリと胸が痛んだ。
ヴァイナマイネン家は、昔から優秀なオトメを多く輩出している家系である。
最近ではレナ・ヴァイナマイネンという娘が、ベールヴァルドの兄のオトメになった。
いや、だったと…言うべきか…。
十以上も歳の離れた兄は、次期王になるための即位式を間近に控えていたが…、つい先日、不慮の事故で亡くなったのだ。
「…レナ、お姉ちゃん…っ」
嗚咽混じりに言うティノの声が聞こえて…ベールヴァルドの胸はまた、ズキリと痛む。

オトメと主は契約によって魂が繋がっている。

だから、主に何かがあれば、またはオトメに何かがあれば、それぞれ、相手にも影響が及ぶのだ。
一方がケガをすれば、その痛みが相手に…、一方に死が訪れれば、もう一方にも死が訪れる。

だから、そう……ティノの姉は、ベールヴァルドの兄と共に死んだのだ。

「おねえちゃん…、王子様、守れなかったって…、みんなが……、みんなが……」
主を守れなかったオトメの名が、貶められるのはよくある事である。
ベールヴァルドは泣きじゃくるティノの頭に、そっと手を伸ばした。
伸ばしたものの、撫でるか、軽く叩くか、どうしようと迷いながら…。
「……おめのあね様は、すげぇオトメだったど」
そう言えば、ティノがバッと顔を上げる。
「お姉ちゃんを知ってるの?」
「ん…」
「…君は、誰?」
驚きよりも、訝しげな表情の強く現れた瞳を、ジイッと見つめて、ベールヴァルドは少し困った。
本当の名を告げて良いのだろうか、と思う。
この傷ついた少年に。

「……俺は………ベールヴァルドだ…。ベールヴァルド・オキセンスシェルナ…」

それでも、ウソを付くのは良くないと思うから。
ベールヴァルドは正直に自分の名を明かした。
「べ、ベール…ヴァルド……オキセンス…シェルナ…?」
紫の瞳が大きく大きく見開かれる。
呼吸すら、涙すらも止めて見つめ、ティノはそれから弾かれたようにベンチを立った。
「ご……っ、ごめ、なさ…っ…!ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
「なして、謝んの?」
「だって…だって、僕のお姉ちゃんが、あなたの…お兄さんを…っ!」
お兄さんを!と、嘆く声は悲鳴のようで…。
その痛々しい響きに、ベールヴァルドは顔を顰める。
「…だげんちょも…」
ん〜と呻ってポケットを探ってから、ティノの手を取って。
「それ、おめにゃ関係ねぇべ?」
何かを握らせ、フイと僅かに顔を背けるベールヴァルド。
「え…?」
ティノは何かを握らせられた掌を見つめた。
そこにあったのは、キャンディの包み。
「け」
きょとんぱちくりと、間の抜けた顔で自分と飴を見比べているティノにそう言って、ベールヴァルドは自分も飴を取り出した。


 
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白い包み紙の中から現れる金色の飴は、蜂蜜を固めて作ったもの。
それをコロンと口に入れ、ベールヴァルドはティノを見やった。
「ほれ、け?」
「あ…、はい」
ティノは言われるままに包みを開いた。
金色の飴を口に入れれば、ほんのりとした花の香りと、甘い甘い味が広がる。
「おいし…」
「そ?」
美味しいと伝えれば、ベールヴァルドの表情がほんの少し和らいだ気がして…ティノは何だか急に気恥ずかしさを覚えた。

泣き虫だって思われたよね、きっと……。
でも……お姉ちゃん……。

姉のことを思えば、またジワリと涙が滲んでしまって…。
ティノはそれがこぼれ落ちる前に、グシグシと顔を拭う。
「……っ…」
「なぁ?」
「はい」
「なんぼ強ぇオトメだって……、どうもなんねって時は、あんでねぇの?」
「……僕も…そう思ってます…」
そう思っている。
そう思っているが、悔しいものは悔しいのだ。
綺麗で優しくて、強くて格好良かった姉…。
ティノの憧れでもあった姉を悪く言われて、悔しくて悔しくて…。
「……えっと、あの、ベール…ヴァルド…王子…さま…」
何とも言い難そうに名を呼ぶティノが何だか可笑しくて、ベールヴァルドはぷすと笑った。
とは言っても、表情は1ミリも変わってはいない。
ただ、微かに空気が漏れるような音だけ。
だから、ティノはベールヴァルドが笑ったなんて気付かずに…。

「スーでええど」

続いて言われた言葉には、ただ面食らうだけで…。
「へ?す、すー?」
「そ」
「そ…って…?」

スーって呼べって…事…?
って、何で…スーなんて……???

「えーと…じゃあ、スーさん…?」
「ん?」
「……スーさんは…僕の姉を恨んでないんですか…?」
さっき、ティノ自身は姉たちの事とは関係ないと言ってくれたベールヴァルドだが、だからと言って、自分の兄が死ぬ原因になったかも知れない姉のことは恨んでいるかもと…そう思うから…。
だが、尋ねれば、途端にベールヴァルドの顔が険しくなって…。
「ヒッ!」
ティノはビクリと身を竦めた。
自分は、もしかしたらとんでもない地雷を踏んでしまったのだろうかと、聞かなければ良かったと、心の底からそう思う。
「ご、ごご、ご、ごめ…なさっ」
引っ込んだと思っていた涙が再び滲んでしまうのを、どうにも出来ぬまま、恐怖にひきつった顔でベールヴァルドを見つめていれば、
「なして?」
彼はふと表情を元に戻して首を傾げた。
どうやら、先程の険しい顔は、深く考え込んでいた顔だったらしい…なんて事は、まだ今のティノには分からない。
「え?な…、何でって……だって…」
ただ、自分の問いかけを、逆に聞き返されるなどとは思ってもみなくて…、何だかオタオタとしてしまう。
そんなティノに、ベールヴァルドはまたぷすと小さく息を漏らした。
「おめさのあね様に無理だら、他の誰でも無理だなぃ…」
「え…」
「好き同士だったんだど…知らねがった?」
「お姉ちゃんが…?」
「ん」
コクンと頷くベールヴァルドから視線を外し、ティノはぼんやりとした視線を正面に向ける。

お姉ちゃんが…王子様と………。

言われてみれば、オトメの契約を交わすと決まった時、姉は本当に嬉しそうだった。
自国の王族のオトメになるのは誉れだから、喜ぶのは当然だと思っていた。
だが、あれは…それ以上に………。

「ただ、悲しめばえんでないの?」

言われた言葉に、ティノはハッとして、ベールヴァルドを見る。
「あ……」

悔しくて、悔しくて…ずっと涙が止まらなかった。
姉はきっと一生懸命に闘ったのだと思うのに、守れなかったとなじられて…。
亡くなったと聞いた時の、悲しみよりも、悔しさが勝って…。

だけど、そう……悔しがる必要はないのだ……。

きっと、姉はオトメとして、愛する人を守るために命を懸けて闘った。
死は結果でしかない。

「俺も、泣いだ。恥ずかしいごとね」
その言葉は、真っ直ぐに前を見て…ティノの方を見ないままで言われたから…。
「…う、ぅ…う、うわぁああああああん!」
ティノは顔をくしゃくしゃにすると、大きな声を上げて泣き出した。


 
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「決めました」


泣いて、泣いて…ひたすら泣いて、それから長い間、ただぼんやりとして…。
やがて、やっと落ち着いたのか、ティノはスッキリとした声でそう呟いた。
「ん?」
何?と尋ねるベールヴァルド。
もう長いこと、彼に預けていた身を起こし、ティノはじいっとその空色の瞳を見上げる。
この無口な王子様は、ティノが泣いている間、ずっと…ただ側にいてくれたのだ。
その優しさが、ありがたくて、嬉しかった。
顔はちょっと怖いけど、いい人だと、ティノはこっそり思う。

「僕、オトメになります!」

「……」
その言葉はベールヴァルドにはとても意外なものだったから、言葉もなく見つめていれば、
「立派なオトメになって、お姉ちゃんの汚名を返上してみせます!」
ティノはそう言って、ニッと決意に満ちた笑みを浮かべた。
オトメが女性限定の職業だった時代は過ぎ去って久しい。
現代では、男性の『オトメ』だって、随分一般的になっては来ているが…。
それでも、やはり…オトメにはイメージ通りの可憐な少女をと望む者は多い。
だから、決意はどうあれ『言うは易く、行うは難し』であろうが……。
「…ん、そっが…」
「ええ、頑張りますよ!僕、絶対、凄いオトメになりますから!」
ぎゅっと拳を握り締め、ガッツポーズをしてみせるティノに、ベールヴァルドはウンと頷いて。


「ほだら、おめ、俺のオトメさなれ」

何とも自然にサラリとそう、言ってのけた。
「!」
兄王子が亡くなった今、ベールヴァルドはこの国の第一王位継承者だ。
近い将来、国王になるだろう。
そう、それは、ティノがオトメになるよりも、ずっとずっと確実に。
「い…、いいんですか?」
大きな目を更に大きくして、ティノが尋ねる。
「ん、約束な、ティノ」
シッカリと頷き、小指を差し出すベールヴァルド。
「あ…、あの、僕のこと、フィンって呼んで下さい」
自分もまた小指を出しかけ、ふと思いついてティノはそう言った。
「?」
ベールヴァルドが不思議そうな顔をするのに、ティノは照れ臭そうに、それでいて寂しそうに微笑む。
「もう…、呼んでくれる人がいなくなっちゃった名前なんですけど……」
恐らく、姉が呼んでいた愛称なのだろうと察して、ベールヴァルドは小さく頷いた。
「んだら、フィン、約束な」
「はい!」
ティノはニッコリと笑って、小指を絡める。

ゆびきり、げんまん。
そう、リズミカルに振られた手を見つめて…。

きっときっといつか、スーさんのマイスターオトメになって…、きっときっと、何があっても、スーさんを守り抜いてみせる…!

「僕、頑張りますね!」
ティノが決意を固めてそう言えば、ベールヴァルドは少し嬉しそうな様子で、ウンと頷いたのだった。


+   +   +   +   +


とゆことで。
約束を交わす在りし日の二人なお話しなど☆
スーさんの心はもうすっかりフィンに奪われてますね(え)

スーさんとフィンに、勝手にお兄ちゃんとかお姉ちゃんとか作ってますが、まあ、まあ、まあ……(何がまあまあだ)
ちなみに、フィンのお姉ちゃんの名前にしたレナってのは、マイオトメの主人公アリカちゃんのお母さんの名前であります。
(すごいマイスターオトメだったのですが、引退してオトメの力を無くした直後に仕えてた城が襲われ、お亡くなりに……)


それにつけても、秘密の花園的お庭が好きだな、あたし……(^^;