ひっ、ひっ、と…誰かが苦しげに泣いている。
生い茂る草をかき分ければ、乱れ咲く花の向こう…。 古びた石のベンチに座り、泣いているのは小さなティノで…。
ああ、昔の夢だと、ベールヴァルドは思った。 初めて出会った時の夢。
そう、あの時も、ティノは泣いていたのだ。
「…泣がね…で……」
ポツリと、呟いた自分の声で意識が覚醒する。 「…すー…さん…?」 すぐ側から、ハッとしたようなティノ声が聞こえた。 目を開ければ、ぼやけた視界にティノの顔を見て…。
……いつ見っでも、めんげぇなぃ…。
ぽわんと幸せな気持ちになる。 が、 「スーさんっっ!スーさぁんっっ!!!」 「?!」 がばちょと抱きつかれ、途端、右肩に走った痛みに思わず呻いた。 「あ、あああっ!ご、ごめんなさいっ!」 慌ててバッと距離を取るティノ。 その視線が肩に向き、辛そうに歪むのを見て、ベールヴァルドは首を傾げる。 「フィン、なじょした?」 聞きながら、その視線を追って自分の右肩を見やれば、そこには真っ白な包帯がグルグルと巻かれていて…。 ベールヴァルドはハッとしたように目を見開き、ティノの顔を覗き込んだ。 「おめ、さすけねぇが?」 大丈夫かと尋ねられ、ティノの方が目を丸くする。 それからすぐ、顔をくしゃくしゃにして…。 「…もう!スーさんのバカ!バカバカバカ!」 ぼろぼろと涙を零され、ベールヴァルドはぎょっとしてしまう。 「すまね、痛がったか?ん?な、泣かねでくなんしょ」 困ったように、宥めるように言われ、ティノはグスグスと鼻を鳴らしながら、ベールヴァルドを睨んだ。 「………スーさん、僕が何で怒ってるか、絶対分かってないでしょ…」 いかにも不満げに唇を尖らしたその顔が、また何とも言えずに愛らしいのだが、どうも…そんな呑気なことを思っている場合ではないらしい。
怒っでんのか……。
ベールヴァルドは少しの間、心当たりを探ってから、首を傾げた。 「…ケガ?」 「それもあります…けど…!」 ぎゅっと、ティノの手がシーツを握り締める。 その手が震えているのに気付き、ベールヴァルドは困ったようにティノを見つめた。 「どうして…、どうして僕に任せてくれなかったんですか?」 「ん…」 「何で…、あんな無茶なこと…するんですか?」 生身の人間が、マテリアライズしているオトメに立ち向かうなど…。 しかも、同じくマテリアライズしている自分が居たのに、それを庇ってなど…。 普通には考えられないことだ。 「攻撃が逸れなかったら、どうするつもりだったんですか?」 心配に取って代わった怒りが、ティノの口から責める言葉を吐き出させる。 猛烈に腹が立っていた。 そして、同時に悔しくて、情けなくて、悲しくて…。 「あなたはこの国の王様なんですよ?なのに、何を考えてあんな…っ、あんな危険なこと…!闘うのは僕の仕事なのに…!スーさんを守るのが、僕の役目なのに…!その僕を庇ってケガするなんて…っっ!」 「フィン…、落ち着け…、な?」 宥めようと伸ばした手を払われる。 「…スーさん、最初に言ったじゃないですか…!契約の時に……僕の力を貸してくれって…!僕、あれ…嬉しかったのに……!」 「フィン…」 切なくて悲しくて…、ボロボロと涙をこぼしながら言うティノに、ベールヴァルドの胸がズキズキと痛んだ。
誰より好きで、誰より笑っていて欲しい人が、自分のせいで傷つき、泣いているのだ。
「覚悟なんて、オトメになるって決めた時から出来てるんですよ?誰と闘うことになっても、僕は…スーさんの為なら闘えます!なのに…、スーさんは、僕のこと全然信用してくれてないんですね…」 「そ、そっだらことねぇ!」 「だったら!僕を、ちゃんと使って下さいよ…!」 「………すまね…」 謝られると、余計に辛くて…ティノはきゅっと唇を噛み締めた。 「…酷いです、こんなの」 「…だげんちょも…、おめに闘わせんのぁ……」 出来ね…と首を振るベールヴァルド。 「何で…っ!」 「おめが好きだから」 「………!」 大きく見開かれたアメジストのような瞳。
それは、聞きたかった言葉だった。 それは、知りたかった気持ちだった。
いつだって、ハッキリ言われたことはなかったから……。
「スーさん…」 聞きたかった言葉を聞いて、知りたかった気持ちを知って、嬉しくて堪らない筈なのに…、状況が状況だから、素直に喜べない。 切なげにきゅっと唇を噛むティノ。 ベールヴァルドも切なげに顔を歪めた。 「昔がらずっとだ…。…だから、そんなおめぇに、危ねぇ事させたくね…させらんねぇ…。本当は、スレイブと闘わせんのも、させたくねんだげっちょ…」 「そんな…!それじゃあ何のためのオトメなんですか?僕は…、ずっとスーさんのオトメになるって…決めてたんですよ?スーさんだって、分かってる筈じゃないですか…。それとも…、スーさんは……あの約束………忘れちゃったんですか…?」 そう震える声で尋ねて…傷ついた瞳が見上げる。
遠い日の約束…そう、あれはもう十年近くも前の………。
それは、きっかけこそ少し趣旨の違うものであったが…。 それでもそう、ティノがいつかきっとオトメになると決めたその時、ベールヴァルドが自分のオトメになれと言ってくれたのだ。 だから、ティノはずっとそれを胸に、オトメになるための努力をしてきた。
オトメになって、いずれ王となるベールヴァルドを助けるために…。
ベールヴァルドも、ティノがオトメになるのを望んでくれているのだと思っていた。 だが、本当はずっと反対だったのだろうか? 度々、ガルデローベで会った時等は、ベールヴァルドも応援するようなことを言ってくれていた筈ではないか…それなのに…と思う。
「そっだことね!おめとの約束だら、俺は絶対に忘れねぇ!」
ブンブンと首を振り、珍しくも激しい勢いでベールヴァルドが叫んだ。 「じゃあ、何で…っ!」 「頭ではわがってんだけっぢょも…」 「…スーさん…」 ぎゅうっと…どちらも眉根をきつく寄せて…。 辛そうに見つめ合う。 まるで、苦しい思いすらをも、共有しているかのように…。 「そんなの……嬉しくないですよ、スーさん…」 「……フィン…」 「僕の事好きだから、心配してくれるってゆーのは嬉しいです。でも、だから闘わせられないなんて……それは…そんなのは…嬉しくないです…!」 唇を噛み締めていたティノが頭を振り、やがて吐き出すようにそう言った。 「闘わないオトメなんて、要らないじゃないですか…。そんなの、オトメじゃないです。マスターを守らせて貰えないオトメなんて…そんなのない!僕は、お飾りのオトメなんて嫌です!スーさんを守りたいし、スーさんの役に立ちたいんです!」 「フィン…」 「僕だって、スーさんが好きなんですよ?子供の時の約束だけで、本当にオトメになっちゃうくらい…!」 「!」 思いも掛けぬティノの告白に、ベールヴァルドは大きく大きく目と口を開けて…。 言葉もなく、ただ、ティノを見つめる。
「……あなたが好きです、スーさん…。その気持ちなら、負けないですよ?」
ティノは改めてそう言って、泣き濡れた顔のまま、それでもニコッと微笑んだ。 それはまるで花の綻ぶような可憐な笑顔。 「フィン…!」 長い腕が伸び、ぎゅうっと抱きすくめられる。 広いベールヴァルドの胸の中、スッポリと収まれば、頭の上にキスの感触。 「ずっと…、ずっとだ。おめが…好きだった…」 「スーさん…!僕だって…!!」 見上げれば、重なる唇。 ああ、とティノは思った。 ずっと、こうして欲しかったのだと、そんな自分の思いを知る。 今までにも、キスされたことはあった。 額や、頬や…唇にも一度……。 そして、認証時には必ずGEMに。 だが、本当はずっと待ち望んでいたのだ。 違う意味を持つキスを、その心と共に…欲しいと……。 軽く触れるだけのキスではなく、もっと熱く、もっと深く…と…。 「ん…、んむ、ふ…っ」 何度も何度も角度を変えて…貪るように交わす口付け。 舌が触れ合う度、頭の芯がぼうっとなり、身体の芯は熱く熱く熱を持ってゆく。
今、大切な話…してたのに……。 何か…もう……どうでも……。
「ん…っ、すー…さん…っ」 は、と僅かに離れた唇の間で息を継ぎ、名を呼べば、ごく間近で視線が絡んだ。 不埒な熱の浮かんだ空の色の瞳が熱い。 その視線に、ゾクリと身体が騒ぐ。 先に待つ事への期待と不安にドキドキして…、戸惑いと緊張でグルグルして…、大切な話なんてもう何処か遠くへ追いやられてしまって…。
「フィン、ええが?」
囁かれた問いかけに、ドクンッと鼓動が跳ねた。 嫌だと言ったらどうする気だろう、と少し興味を引かれながら…、それでも、尋ねてくれる優しさが愛おしいから…。 ティノはコクンと小さく頷く。 「…認証、しますよ」 ぎこちなく笑って、精一杯普通っぽくそう言えば、僅かに険しくなるベールヴァルドの顔。 気分を害したわけではないし、勿論、怒っているわけでもない。 ただ、そう…酷く真剣なだけ…。
ずっと好きで、好きで好きで堪らない相手と、ついに思いを遂げることが出来る、その時を迎えて……。
ゆっくりとベッドに押し倒され、真上からベールヴァルドが覗き込んでくる。 これ以上ない程険しい顔だが、その目元は赤く染まっていて…ティノは幸せな気持ちで微笑んだ。 この顔を怖いと思うどころか、愛おしく感じるなんて、恋とは何と偉大なものだろう。 「傷…、大丈夫ですか?」 「ん」 「…眼鏡…外しても…?」 「ん」 そろりと眼鏡を外し、ベッドサイドの棚の上に置く。 カタリと鳴った小さな音を合図にするかのように、ベールヴァルドは再びティノに口付けを落とした。 ちゅ、ちゅと何度も落とされる唇。 それは段々と位置をずらし、首筋を降りて…。 プチプチと器用に外されるボタンに、胸元が開き、外気が流れ込む。 「…ぁ…っ」 鎖骨とその下の薄い皮膚を唇が掠め、ゾクリとしたものが背筋を走った。 シュルシュルと衣擦れの音がやけに大きく響く気がする。
昔は…エッチしちゃダメだったんだよね……。
何故かふとそんな事を思い出して、ティノは今の時代のオトメで良かったなと、正直に思った。 昔のナノマシンは男性のDNAに弱く…、その為に、オトメは女性専用の職業であったのだ。 オトメは、オトメである限り異性との恋愛を禁止され、オトメ達は夢と恋のどちらかを選ばねばならない局面に度々さらされたのだとか…。 その後の度重なる改良の結果、現在では男性のDNAにも対応が可能となり、それ故、オトメは男女を問わぬ職業となったわけで……。
何だかそんなことに思いを馳せてしまえば、いつの間にか入り込んだ手が直に肌を撫でて…。 「おひゃっ!」 脇腹を腰へ滑り降りた手に、ティノはビクリと身を竦ませた。 くすぐったいと思うと同時に、何やら甘く切ない感覚が、背筋をザワリとさせるから。 「んんっ」 「やわけぇなぃ…」 ベールヴァルドの声に含まれる感嘆のような響きに、胸がドキドキする。 いつも鋭い空色の瞳が、今は何処か優しい感じすら受けるようで…それが真っ直ぐ自分の身体に降りているのが、今更ながらに恥ずかしい。 「ひゃあ…っ!」 ス…と更に下へと伸びる手が、何の溜めも躊躇いもなく、中心に触れた。 「ぁ、スーさぁん…っ」 ぎゅと握り込まれれば、期待と不安と羞恥がない交ぜになって…、どうして良いのか分からなくなる。 だが、そんな迷いも恥じらいも、ほんの一瞬のこと…。 その手が怖ず怖ずと動き始めた途端、鋭く身体を駆け昇った電流のような快感に、思考がショートした。 「んぁあっ!ぁっ、ああぁんっ」 強弱を付けて握られ、扱かれ、その度に走る強すぎる程の快楽にさらされて…。 喉の奥から声が上がり、目の奥からは熱い涙が滲んでくる。 ビクビクと跳ねる身体。 「はぁっ、あ、や、ぁあっ」 高められる熱に、ブンブンと振られる頭。 赤く染まった顔をじぃと眺め、また「めんげぇ」なんぞと思いながら、ベールヴァルドはその頬に、ちゅっと軽い口付けを落とした。
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